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捨てがたい本

  • 2011/01/15 (土) 14:59

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本を捨てる作業をしていて、手が止まることがある。笹本駿二『ライン河物語―私のヨーロッパ案内』岩波新書。

本の奥付からすると、私が読んだのは、おそらく1974年のことである。もう36年も前のことである。21年後の1995年から2年間ヨーロッパで生活することになった。本を読んだ当時はまったく予想しなかった。

本の中の地図に掲載されているライン河河畔の街は、ほとんど行ったことがある。()内は、河畔と言うにはライン河から少々離れている街である。ボーデン湖、コンスタンツ、バーゼル、(フライブルグ)、ストラスブール、(シュトゥットガルト)、マンハイム、マインツ、(フランクフルト)、トリアー、コブレンツ、ボン、ケルン、デュッセルドルフ、ロッテルダム。

著書笹本氏とわたしの関心が似ているなぁーと感じた個所。ストラスブールでは、ゲーテ、グーテンベルクについて述べ、トリアーではカール・マルクスについて述べている。

若き大学生時代のメッテルニヒが、ストラスブールに居たことがあるということは知らなかった。わたしの関心が学問に集中しており、外交とか政治というものに関心が低いせいであろう。

テニスを再開すべきか?

  • 2011/01/13 (木) 15:07

メールでテニスの案内が来た。退院後、テニスを中断している(実は、入院直前、テニスは絶好調であった)。テニスを再開すべきか。

寒いし、自信がない。もうかなり中断しているので、肉離れの危険性が高い。

再開前に、もうちょっと、トレーニングしないと危険か。

ウォーキング

  • 2011/01/12 (水) 11:32

小雪の中、ウォーキング。
退院後1か月が過ぎ、少し、体力回復のための運動をしようと思ったのである。これまでよりは、幾分、早く歩けるようになったか。それでもまだ、普通の人よりは、歩く速さがかなり遅い。

部屋片付け作業続行。

「性同一性要支援者」???

  • 2011/01/11 (火) 14:28

「障害」の「害」が適切ではないとして、「障がい」または「障碍」と表記するということは、時々、見かける。

 ところで、最近、弁護士仲間が教えてくれたのだが、「障害」という表現を「要支援」という表現に変えるという考え方、動きがあるらしい。
「障害」は「要支援」に。
「知的障害者」は「知的要支援者」あるいは「知的支援を要する人」に。
「身体障害者」は「身体要支援者」あるいは「身体的支援を要する人」に。
「精神障害者」は,「こころ要支援者」あるいは「こころの支援を要する人」に(精神的要支援者とすると精神障がいのある人以外の人も含む可能性があるので,「こころ」という言葉を使う)。
「障害者」は「心身要支援者」あるいは「心身の支援を要する人」に。

 この流儀でいけば、「性同一性障害者」は、「性同一性要支援者」あるいは「性同一性に支援を要する人」になるのかなぁーーー?

 「トランスジェンダー」か「トランスセクシュアル」が良いように思うのだが。。。

プチ教授

  • 2011/01/10 (月) 18:01

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30年ほど前、性同一性障害に関する法的問題を取り扱ったフランス語の論文を読んだことがある。その著者が、左のプチ教授である。

スウェーデン特例法の翻訳が掲載されていた。ご本人にたずねたところでは、スウェーデン語は読めず、他人に頼んで翻訳してもらったそうである。

わたしが論文の読んだ頃には、ベルギーのルーバン新大学の所属であったが、現在は、フランスのツールーズ大学法学部教授でいらっしゃる。

その後、結婚され、夫プサン氏の氏と結合させて、プサンープチ(Poussan-Petit)という氏を採用しておられる。わたしより5歳年上で、一女の母ということである。

家族法分野での比較法的な研究にご関心があるようである。比較法的な研究に関心を持つという点では、わたしと共通である。

写真は、ツールーズ大学法学部のプサンープチ教授の研究室内である。同教授の院生が撮影してくれた。当時、教授は、法学部長でいらっしゃった。

フライブルグ

  • 2011/01/09 (日) 21:51

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フランス、スイス国境に近いドイツの小都市である。「自由な市」という意味である。

小都市ではあるが、大学、特に法学部、特に民法学の研究レベルに関してはドイツ国内屈指の名門大学である。

この街の写真が絵葉書だけって? いやいや、ほんとは写真もあるはずなのだが、今すぐに出て来ないというだけのことである。

何度も行ったことがあるし、大学の写真も撮ったはずである。

トリアー

  • 2011/01/09 (日) 01:04

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カール・マルクスの生まれた町である。

確か、雨の夕方に電車でこの町に着き、ローマの遺跡と、マルクスの生家を眺めて、安い食堂で夕食をとり、また電車に乗ってルクセンブルグに行ったため、一枚も写真が残っていない。

この絵葉書の裏のドイツ語の解説では、「ドイツ最古の町」とだけ書かれており、マルクスのことには触れられていない。

町の安レストランで、女性とお話をしたが、ローマ遺跡のことと、マルクスのことだけでは、話がもたなかった。

16年前のあやふやな記憶では、この絵葉書の右に駅、その左側にローマ遺跡があり、この絵葉書の左にバスターミナルがあり、そのすぐ近くにマルクスの生家があったように思う。

ともかく、雨の夕方に到着し、小さな町を少し歩いて、安い食堂で晩御飯を食べ、その後、また電車に乗ったので、写真を一枚も撮っていない。

マルクスさま、最近は、あなたの著作は世界的にたいへん不人気なようなので、あまのじゃくな私は読んでいますよ。あなたが人気者であった頃には、あなたの著作など、まったく読みませんでした。ただ、その頃に大量に買っておいて積んでおいたので、今、読むことができるのです。今ではあなたの本は、日本の本屋には売っていないのでは。。。

絵葉書の整理

  • 2011/01/09 (日) 00:06

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本、資料の整理をしていると、ヨーロッパ滞在中に撮影したが、ネガを紛失してしまった写真が大量に出てきた。また、絵葉書も大量に出てきた。

訪問した日が雨ばかりだったなどの理由で、写真を一枚も撮っていないが、絵葉書だけあるというような場所がある。

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ケゼルスベール(独語=カイザースベルグ、意味=皇帝の山)。

シュバイツァーの生まれた村である。シュバイツァー記念館がある。管理人の話では、訪れるのはアメリカ人、日本人が多いそうである。

白ワインの有名な産地で、秋には白ワインの新酒(独語でホイリゲ、糖度が非常に高く、甘すぎる)を飲みにいったことがある。

近くに駅がなく、車を持たない私は、かなりのタクシー代を使った。

近所に、日本の成城学園の現地校があるらしく、日本人の学校の規律の良さが時々、ストラスブールの新聞記事にもなっていた。

左 絵葉書
中 大通り
右 シュバイツァー記念館(シュバイツァーの生家)

1996年11月9日撮影。ホイリゲを飲みに行ったのである。

首周りの細いワイシャツを買いに行く

  • 2011/01/08 (土) 21:07

寒い中、散髪に行った。首周りの細いワイシャツを買った。初仕事に向けた準備である。ほんとは、新しい靴も買いたかったが寒いのでやめた。

USBミモリーの整理って?

  • 2011/01/06 (木) 22:57

USBミモリーの中身をちょいと整理。

USBメモリー自体は、どうやって整理すべきか。

色やデザインの違うものを買ってきて、赤は、カナダ系、白はGID系、ブルーはスポーツ系などと分類しているが覚えられないので、USBメモリーに付箋をはって、文字で書いている。

どうやって、USBメモリーを整理すればよいのか。字を書くスペースがない。白い扁平なものを買ってきて、油性マジックで字を書こうと思ったら、細いマジックがない。