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小川功太郎氏

  • 2011/01/29 (土) 15:46

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小川功太郎とは、2004年5月27日にイラクでお亡くなりになった日本のジャーナリストである。

ご一緒に亡くなられた伯父橋田信介氏およびその夫人が一般にはよく知られている。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BE%AE%C0%EE%B8%F9%C2%C0%CF%BA
http://ch02148.kitaguni.tv/e54848.html

新聞記事のとおり、小川氏は、NHK鳥取支局に勤務されていた頃、GID問題に関心を持っておられた。

2003年5月12日のNHK総合「クローズアップ現代」は、小川氏が企画された。
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=1740

ぼくって、なんか持ってるな

  • 2011/01/28 (金) 16:26

母校創立以来、135年、野球部創立以来113年。ただの一度も甲子園に出場したことがなかった。

今回、初めての甲子園出場である。その年に、同窓会の近畿支部会長をしている僕って、なんか持ってるなーー。

母校、甲子園出場決定。

  • 2011/01/28 (金) 16:16

http://mainichi.jp/enta/sports/baseball/news/20110123ddm035050082000c.html

センバツ21世紀枠:/8 城南(徳島) 地元球界支える

ノックを打つ森恭仁監督(左)。その後方で、バックネットへ向けて打撃練習を行う ◇県内発祥校の存在感
 グラウンド隅の碑に「徳島県における野球の始まり」と刻まれている。1875年創立の旧制徳島中。野球部は1898年に県内で初めて創部。しかし県内でもなかなか勝てず、甲子園も無縁だった。2006年にOBの森恭仁監督(43)が着任。「今までの113年は勝てなかった歴史。何か変えなければ」と、練習や学校生活に向かう意識から改革。07年夏に徳島大会で決勝に進み、昨年は初めて秋季の県大会優勝と四国大会出場を果たした。

 森監督は前任校の鳴門第一を04年夏の甲子園に導いた。強豪校から母校を見ながら「どうすれば城南を強くできるか」といつも考えていたという。その蓄積も練習の工夫に反映されている。

 グラウンドは他部と共用で、使えるのは内野程度の広さ。打撃は本塁付近から、至近距離にあるバックネットへ打つ。ノックは二塁から本塁方向の狭い中で行うことも多い。そこで数人ずつに分かれて打撃、ノック、ランニングなどをローテーションして休みなく行い練習の密度を高めている。

 狭さをプラスに生かす強さもある。打撃練習では打球の飛距離がわからない。だが出口翔一朗主将(2年)は「かえって大きな打球を狙わず、いい形で打つことに集中できる」。成果は県大会5試合で9回平均12・6点という攻撃力に表れた。森監督は「選手が自ら考えて取り組む意識が広がり、厳しくても楽しく元気にやる雰囲気も出てきた」と手応えを得ている。

 学校生活でも、出口が生徒会長を務めるなど、多くの部員が生徒会やクラスの役員を担う。それが野球部への共感も呼び、野球部以外の生徒も県大会のアナウンスや雑務など裏方の仕事に協力。学校を挙げて徳島の高校野球を支える。

 最近は、大学に進んで教員や野球指導者を目指す卒業生も増えてきた。「地元の野球に貢献できる人材育成も、勝つことと変わらぬ価値がある」と森監督。徳島の「野球発祥校」としての存在感は、着実にふくらんでいる。【石井朗生】=つづく

毎日新聞 2011年1月23日 東京朝刊

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早稲田大学野球部は100年だそうである。ぼくらの方が古い。

母校創立135年、野球部創立113年。強さではなく、古さでかかってきなさい。僕らより古い野球部が日本にあるかい?

レイク・ルイーズ湖

  • 2011/01/28 (金) 15:11

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湖の端から、ホテルを望む。

普通の絵葉書は、ホテル側から、こちら側を望むもの。

手こぎボートで、静かな湖面を反対側まで行ったのである。でも、ちょっと天気が悪いか。

こんなこともありましたなー。

  • 2011/01/28 (金) 11:27

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このあと、TNJで講演させていただいた。ところが、講演開始前に、トランスジェンダーの日をめぐって、森野ほのほさんと出席者との間で大論争。

たいへんな雰囲気の会場で講演をはじめなければならないハメに。

ラバル大学キャンパス

  • 2011/01/28 (金) 11:08

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左 旧市街にある旧キャンパス

右 郊外にある新キャンパス

ビデオテープって

  • 2011/01/28 (金) 00:01

どうすればいいのやら。動画には全く疎い。

かつて、ニュース番組を中心として、数十回テレビに出たことがある。そのとき、テレビ局側のご配慮で、後日、ビデオが送られてくる。

資料整理の途中で、かなりのビデオテープが出てきた。どうしたら良いのやら。なんで、こうもかさばるのか。

ドタキャン

  • 2011/01/27 (木) 15:12

この金曜の夕方、東京の弁護士会館で会合があり、ホテルで一泊する予定であった。そして、翌日、トランス☆プロジェクトのお芝居を見に行く予定であったのだが。。。

前日になって、弁護士の会合は中止との知らせがメールで届いた。

東京には行かないことに。。。
したがって、お芝居にも行かないことにしよう。

今日は、給料日だ!

  • 2011/01/25 (火) 13:58

ファミレスのランチ499円を食べるぞ。ゼータク、ゼータク。

池波正太郎『ドンレミイの雨』新潮文庫

  • 2011/01/24 (月) 11:11

池波正太郎さんの本を読んだことがない。

なぜ、この文庫本を買ったのだろう。ストラスブールが出てくるからである。

この本は、池波氏の外国旅行記である。ストラスブールでは、昼ごはんを食べるために滞在されただけのようである。

昼ごはんは、「シュークルート」。おいしいと書かれている。わたしも何度か食べたことがあるが、正直おいしいと感じたことはない。

昼ごはんどきを中心として数時間滞在されただけのストラスブールの写真が数葉、掲載されている。写真に付された説明文。「ドイツの匂いのただようストラスブール」、「ストラスブールの古い菓子店」、「ストラスブールのフランス河岸」。

大作家の文章の内容は、まことに失礼ながら、紹介するほどのこともない。大学、ゲーテ、グーテンベルグという名詞が出てくる極めて短い文章である。